イエスさまは宣教活動の初期から弟子たちを集められました。今日は最初の弟子たち、すなわち、ペトロ、アンドレア、ヤコブ、ヨハネの四人が呼ばれた時の出来事が語られます。イエスさまは何故、漁師たちをご自分の弟子にされたのでしょうか? 漁師たちは安定した陸地にいて、仕事をする人たちではありません。陸地にいる人たちよりも自然という人間の努力だけではどうにもならない世界で生きている人たちです。ガリラヤ湖(ルカ福音書ではゲネサレト湖)という小さな湖ですら時には嵐で沈みそうになったり、一晩中、働いても一匹の魚もとれなかったり、彼らの努力だけでは成り立たない仕事です。それゆえ、ペトロたちは陸地にいて安定した商売や仕事をしている人たちよりも
神様の恵み、神様への信頼を強く意識していたのではないでしょうか?「お言葉ですから、もう一度、網をおろしてみましょう」このペトロのことばはルカ福音書における弟子たちの最初のことばです。人間の目から見れば可能性のないことでも、キリストの言葉なのだからもう一度、信じてみよう、やってみようという素直さとけなげさ、信頼の厚さこそがイエスさまを信じるすべての人に必要な姿勢なのです。そして神様も何度でも回心の見込みの少ない人間たちに対してもあきらめずに救いの網に入るようにと働きかけて下さるのです。それゆえ、キリストの弟子たちに絶望とか、あきらめということばはないのです。今日は召命の三つの要素についてお話しましょう。
①キリストが望み、その人を呼ばれる。
ある人が司祭、修道者に呼ばれる時、それは決して自分の望みとして司祭 や修道者になりたいとかではありません。そのような望みを感じた時、そ の人自身は「まさか、どうして私はそんなことを考えるのだろう。私はこ んなに不完全で弱く、これは思い違いだろう」とかえって戸惑いを感じる のです。
②もし、あなたのお望みでしたらみ言葉の通り、この身になりますように。 しかし、何度否定してもそれが繰り返し、強くなってくる時、これはもし かして! キリストが呼んでいるのでは?と思い当たる時が来るのです。
それを内的なしるしと呼びます。その内的なしるしはSine Causaとラテン語で言われるように、自分自身の中には思い当たるふしがないのに、キリストの呼びかけを感じることであり、またそれがキリストのお望みなら、無条件に従いたいという全人格をあずけての「はい」が必要なのです。
③共同体の確認。キリストの呼びかけと本人の「はい」は内的なものです。
神学校や修道院の扉を叩いてから長い修練や養成課程の中で、共同体がそ れが本物かどうか、見極めて行くのです。
[祈り・わかちあいのヒント]
*誰もが一度は司祭や修道者になることを考えると言われますが、あなたは?