説教メモ
2025年2月24日
年間第七主日 ルカ6:27~38
「敵を愛しなさい」
今日の福音も先週朗読されたルカにおける「平地の説教」の続きです。マタイでは山上の説教とほぼ同じ内容が語られていますが、イエス様のことばはマタイ福音書では集まった群衆全体に語りかけているのに、ルカ福音書では「弟子たちに語りかけられた」となっています。ルカ福音書の冒頭のティオフィロを思い浮かべてみますと、イエス様の周りに集まった12人の弟子たちだけでなく、時代を超えて、イエス様を慕い、イエス様のことばを人生のともし火として受け入れようとする「すべての人」へ語りかけられているものであることがわかります。
マタイ福音書では、「隣人を愛し、敵を憎め」という旧約聖書の教えと対比させていますが、ルカ福音書では「愛の掟」として、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」という天の父の愛、神の愛に繋がる道であることを示しておられます。天の父、イエス様が父なる神と呼ばれるお方は、ご自分がお作りになられた人間を敵と見なしたり、攻め滅ぼすことはありません。それゆえに敵という存在は人間の心が作りだした幻のようなもの、自分の恐怖心や自分のエゴイズムが作りだした虚像なのです。
わたしたちの行いはギブ・アンド・テイクになりがちです。しかしイエス様は「自分を愛してくれる人を愛したからところで、あなたたちにどのような恵みがあろうか」と語りかけるのです。ギブ・アンド・テイクという考え方は相手が自分に浴してくれるならば、という条件や基準となってしまいます。イエス様はそれを乗り越えて、まず「あなたからはじめなさい」ということを強調されているのです。自分に善くしてくれる人を憎むことは人間にはできません。必ずやあなたの小さな親切や善意は相手の心を動かすのです。たとえ蝶々のはばたきのようにか弱いものに見えても、人の心を変えてゆくのです。
今日の福音の締めくくりには「あなたがたは自分の量る秤で量り返されるのである」ということばが出てきました。天の父である神さまがわたしたちに与えようとする基準は、わたしたちが隣人にどれくらい与えたかに関係しているのです。
[祈り・わかちあいのヒント]
*わたしたちが許せないこと、憎んでいることと許せない人、憎んでいる人とは違うのでは?