説教メモ
2025年5月25日
復活節第六主日 ヨハネ14:23~29
復活節第二主日から第六主日までの4回の日曜日はヨハネ福音書が朗読されています。第六主日の福音朗読は先週に引き続いてイエス様の最後の晩餐におけることばが語られます。そのテーマは「聖霊」についてであり、それは来週の昇天の祝日の準備にもなっています。そして、昇天されたイエス様は使徒たちに聖霊を送り、教会がその活動をスタートする聖霊降臨の祝日がそれに続いて祝われるのです。
さて、イエス様は最後の晩餐で弟子たちの足を洗い、聖体を制定し、ユダやペトロの裏切りについて、預言し、また新しい掟・愛の掟について語りました。今日は、それらのすべての意味を後で弟子たちに示してくださるお方「聖霊」
について語られます。最後の晩餐の時、弟子たちはイエス様の語られる言葉の意味が理解できなかったことが様々なことを通して示されています。たとえば、フィリッポは「父をお見せ下さい。そうすれば私たちは満足します」とイエス様にお願いしていますが、「フィリッポよ、こんなに長くいるのにまだわからないのか、私を見た者は父を見たのだ」と答えています。また、トマスは「主よ、あなたがどこに行かれるのか、私たちにはわかりません。道を教えてください」と尋ねています。すると「私が道であり、真理であり、命である」と諭されます。このように弟子たちはまもなく始まる受難・十字架の意味も本当に理解していなかったのです。
それゆえ、イエス様はその出来事の意味、またご自分が教えられたことを後で、弟子たちに教えてくれる「聖霊」について語られるのです。「弁護者、すなわち父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」とイエス様は語られるのです。さらに「事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく」のです。「聖霊」の大切な働きは、「イエス様のことを思い起こさせること、イエス様の教えたことをことごとく思い起こさせること」です。私たちは何かを考えたり、決めようとする時、「自分の意見や利益を基準にして」決めてしまいがちですが、そこに「イエス様ならどう考え、どう行なわれるだろう」と少しでも考える、思い起こすならば、きっと少しずつ変ってくると思います。いきなり完全にイエス様のようにではなくとも、弟子たちのように少しずつ、イエス様の方に近づいてゆけるのではないでしょうか?
[祈り・わかちあいのヒント]
*今、どのような道、どこへ向かっている道を歩んでいますか?
*あなたがしたいことは、イエス様がしたいことと同じでしょうか?