説教メモ 

                      2025年3月16日

四旬節第二主日 ルカ9:28b~36

毎年、四旬節の第二主日にはイエスさまのご変容の個所が朗読されます。

さらに8月6日にはご変容の祝日があり、同じくこの箇所が朗読されます。

一年の間に二回も同じ箇所が朗読されるということはこの出来事がイエスさまと私たちにとって重大な意味があるからなのです。

 

イエスさまは三回に渡って、やがてエルサレムで十字架にかかって死ぬこと、しかし、それは終わりや失敗ではなく、「主のしもべの道」であり、十字架の死を通して天の門が開かれ、復活の栄光が現れることを弟子たちだけに話しました。しかし、弟子たちはそれを受け入れることが出来ず、「確かにいろいろな困難はあるかもしれないが、イエスさまのことだから、大きな奇跡を起こして、大成功をおさめ、イスラエルの王となり、我々も重要なポストにつけるに違いない。厳しいことをおっしゃっているけれど、我々を戒めるために言っておられるのだろう」と現実から目をそむけ、自分たちに都合の良いように受け止め、考えていました。

 

この弟子たちの有り様こそ、私たちの信仰とよく似ているのではないでしょうか?キリスト教は「愛の宗教」と言われますが、イエスさまの言う「愛」とは甘い夢やここちよい気持ちを指して「愛」とは言っていません。ザビエルたちが日本に来た頃、この国の人たちにとって「愛」は「恋愛」の意味でしか、理解されていませんでした。それゆえ、ザビエルたちはキリストの言う「愛」を説明するために「喜んで損をすること」「ご大切」というような表現で説明したということが記録に残っています。

 

このような弟子たちに気がついて欲しかったイエスさまは三人の弟子を連れて山に登ります。そして、彼らの信仰のために祈ります。祈っているうちにそのお姿が変りました。モーセとエリヤを証人としてエルサレムで起こる出来事の意味が解き明かされます。ペトロたちは驚きと衝撃のために何をしたらよいのかわかりません。すると、雲の中から声が聞こえてきます。「これは私の愛する子、これに聞け」と。私たちはキリストに尋ねなければなりません。「主よ、私はどうしたらよいのでしょうか? 私の望みではなく、御父の望みを知り、それを行なうためにはどうすればよいのでしょうか?」と。祈りはその人を変えるのです。

考えるヒント:

  1. あなたはキリストの言う「愛」をどのようなことばで説明できますか?

  2. あなたはどのようなこと、誰のためならば「喜んで損をする」ことも引き受けられますか?